『どこで笛吹く』と強み

雑感・雑記

数年前から、じぶんの弱いところを克服することよりも、じぶんの強いところを伸ばすという風潮が高くなっているように感じます。

実は、その考え方を100年以上前に物語のなかで主張している作者がいました。
今回は『どこで笛吹く』(小川未明:作)を読んで、感じたことを書いています。

『どこで笛吹く』の話

おじいさんから笛をもらった主人公の男の子は、その笛を大切にして、しだいに笛が上手になっていきました。

ある日、森の中で上手な絵を描く少年に出会い、笛を吹くよりも絵を描いたほうがいいように思ってしまいます。
そして、男の子が持っていた絵の具と笛を交換してしまいます。

自分がその絵の具で書いてもいいものが描けず、笛をなくしてしまったことを後悔します。
後日、おじいさんに「もっといい笛をあげるから、前にわたした笛を返してほしい」といわれたときに、笛を手放したことを打ち明けます。

するとおじいさんの顔つきが変わって、次のように言われてしまいます。
「なんでも人まねをしようとすると、そういう損をするもんだ。おまえの力を、おまえは知らんけりゃならん。そして、人間というものは、なんでもできるもんじゃない。自分が他より勝れた働きがあったら、ますますそれを発達させるのだ。」

それから、男の子は笛を取り戻そうと毎日森へ行って少年を探すのですが、笛の音は聞こえるものの、ふたたび少年の姿を見ることはできなかった…というはなしです。

全文は青空文庫(下記)に掲載されています。

小川未明 どこで笛吹く

弱みの克服よりも、強みを伸ばすことの重要性

上に書いた『どこで笛吹く』の話のなかで、特に印象に残るのは、おじいさんの台詞ではないでしょうか。

優れた人やお手本を真似て、じぶんが成長しようとすること自体は悪いことではありません。

しかし、優れた人や物事を難なくこなしている人を見てしまうと、どうしてもその人と比べてしまい、自分自身を見失ってしまったり、自信を無くしてしまったり卑下してしまうことがあります。
また、自分が弱みとすることに対して、ほかの人からそれを克服するよう強制されることもあります。

たとえば、わたしが通っていた幼稚園と小学校では、給食がありました。

幼稚園のころは食べられないものは無理に食べなくていいという感じでした。
しかし、小学校では残さずに食べるようにという方針に苦しみました。

「みんなが同じように残さず食べないといけなかった」「食べられないものを無理やり食べないといけなかった」という経験は、苦痛をともなう弱みの克服の具体例としてわかりやすいかと思います。
弱みを克服のはずが、かえってトラウマになるケースもあるのではないでしょうか。

まずは自分自身を知って、優れた働きを伸ばしていくことが重要だと語られています。

食べ物でいうと、卵などアレルギーと判明した食べ物を無理に食べさせることは今はしないと思いますし、「給食を残さず食べきらないといけない」という方針は減ってきたときいたことがあります。

同じ食べ物でも、給食では合わなかったけれど、家では普通に食べられる、という場合もありますし、栄養補給という点だけ考えた場合は、好きな食べ物であればいくらでも補給できるでしょう。

アレルギーや苦手な食べ物を克服するより、好きなものを心地よく食べる、という感覚は今の時代には重要だと思います。

食べ物にもさまざまなものがあるように、特にネットが発達した現在では物事の種類は無数に存在します。

無数の物事から苦手なものを1つ1つ探し出して克服するよりも、自分にとって優れた要素を探して伸ばすほうが効率もいいと思います。

ちなみに、じぶんの性格や強み・弱みを知るためには、心理検査や本など様々な方法があります。
特に、「自分自身を知って、優れた働きを伸ばす」ということに直結するものとしては、「クリフストレングス(ストレングスファインダー)」という検査があります。

これらで自分自身を知って、強みを伸ばせる生き方をする…というと今の時代に合った考え方ですが、100年以上も前に物語を通してこのことを説いていた、というところに『どこで笛吹く』のすごさがあるのではないか、と思います。

おわりに

ここまで、『どこで笛吹く』と強みについて書きました。
時代を超えて強みを伸ばすことの重要性が語られていたところに驚きがありました。

物語では、強みの象徴である笛を手放して後悔する終わり方になっていますが、笛を手放さずに大事にしてもっといい笛を授かれるような世界になればいいなと思います。

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