「すみません(すいません)」という言葉は使える状況が多く、わたしも使うことが多いです。
一方で、「すみません」を使える状況が多いため言われた側に真意が伝わりづらく、場合によってはそれを不快に思われる場合もあるようです。
そのため、できるだけ使うことをやめるほうがいいと思うようになりました。
今回は、「すみません」という言葉について書いています。
考えるきっかけは『やめてみた。』
今回、「すみません」という言葉について考えるきっかけとなった本があります。
『やめてみた。』(わたなべぽん 作、幻冬舎文庫、2019年)というエッセイ漫画の文庫版です。
作者と本の名前は過去に聞いたことがあったのですが、ふと気になったので読みました。
タイトルや表紙の絵からするとミニマリスト的にものを捨てる本かと思っていました。
実際に読んでみると、普段使っているものや行動について、ふとしたことがきっかけで本当に必要かどうかを考え直すようになり、結果としてこれまで使っていたものや習慣をやめる、という流れの話でした。
その内容は、最初はモノだったのですが、習慣や心のことも対象になっています。
冒頭で書いた「すみません」もやめてみたことに含まれていました。
作者は、つい「すみません」と言うクセがあることを友人や夫から指摘されます。
子供時代の環境下が原因で自分を卑下するようになっていたことに気づきます。
また、夫からは、ほとんどが「ありがとう」に置き換えられる、とアドバイスを卑下せずに対等に接していいと気づいて「ありがとう」というようにした、という流れでした。
わたしも、割とつい「すみません」ということが多いため、このエピソードを見て、やめないといけないと感じるようになりました。
「すみません」への認識のずれ
わたしが「すみません」を言う心理は、作者のわたなべさんと同じ部分が多いと感じました。
自己評価の低さや卑下することを長年刷り込まれて、無意識に先に「すみません」でガードしているかもしれない、と思いました。
相手に対して気を遣う、謙遜する、といった面もありますし、それをやめると傲慢や不遜になるのでは…と考えてしまうところがあります。
反対に「すみません」と言われた側の心理をネットで少し調べてみました。
言う側の心理とは合致していないことに驚きました。
全部「すみません」で断ち切られて腹が立つ、なんでも謝っておけばいいという逃げの姿勢が気に入らない、など、言われた側は言った側に対してネガティブな印象を持つことが多いようでした。
検索してざっくり拾った感じなので、偏りはあるかと思います。
その偏りを差し引いても、言った側の「すみません」の気持ちは、言われた側にはきちんと伝わっていないと感じました。
特に最近は、謙遜や包み隠して察してもらうといった言い回しよりも、わかりやすく真っすぐな言い回しの方が好まれる傾向にあるため、なおさら伝わりにくく感じます。
また、「すみません」が使われる状況があまりにも多いため、「あいまい言葉」として誤解を避けるためにも使わないほうがいいかなと感じるようになりました。
できるだけ言い換える
今回は「すみません」という言葉について書いてみました。
万能的に使える言葉として多用していたのですが、その万能さ故に相手に伝わらない・逆に相手の気分を悪くするリスクがあると思いました。
対応策は、わたなべさんの夫の指摘のように、「ありがとう」に置き換えられる部分は「ありがとう」にする、などできるだけ言い換えることに尽きるかなと思いました。
「ありがとう」や「恐れ入ります」などほかの言葉で言うようにするのがいいかなと思いました。