自分を無理に出さなくても出る

雑感・雑記

ブログを書くようになってから、「自分を出す」「他との違い」「差別化」という言葉を特に気にしてしまうようになりました。

就職して働くにしても、自営やフリーランスで働くにしても、他人との違いを出さないと・自分でないといけない理由がないと仕事に呼ばれないと言われたこともあります。

ただ、わたしの場合は、無理に「自分を出す」「差別化」などにとらわれると、反対に何も動けなくなってしまいした。
今回、自分を出すことについて気になったことを書いています。

差別化を考えると逆に思いつかない

学生時代の就職活動の頃から、自分を出す・差別化という観点で自分を見て他人にアピールしないといけない状況に直面するようになりました。
そして、その差別化の内容が仕事に直結して会社の利益や成長になることでなければならない…ということに、疑問を感じたことがあります。

当時の自分は、大学では卒業単位に算入されない教職課程の授業も受けつつ、大学の費用捻出のためにバイトしていたため、会社の利益や成長のためではないうえ、書いても差がつかない、などと思ってしまい、「学生時代に勉強以外で力を入れたこと」を書くのが苦痛でした。

差別化できること、自分にしかできないこと、を真正面から考えることは、かえって自分は突出した何かがなく価値がない、と自己否定してしまい、何も思いつかない状態になってしまいました。

考えなくても自分は自然と出る

言語化できるかは別として、良くも悪くも、自分は出そうとしなくても自然に出るものだと思うようになりました。

たとえば、公共交通機関で席に座っていても、スマホを見るか景色を見るか本を読むか…など、人によって違いはあります。音への配慮では、大声で話さない・音漏れをさせない・スマホから直接音を出さない、といったことをするかしないか、で違いがあります。

ささいなことですが、このような行動をいろいろ積み重ねると、隠そうとしても素の自分はどうしても出てきてしまいます。

また、日常使っているモノやスマホのアプリやファイルなどは、基本的に自分で選んでいるため、その人に合った状態というのは千差万別かと思います。

わたしは、お店で聞きたい商品があるときや買い物メモは、スマホ出したり見せるのが面倒なので、リラックマのメモ用紙を使うことがあります。
何気なく店員さんにこれ探してるんですけど、とそのメモを渡したら「リラックマ、かわいいですよね。私も大好きなんです」って言われました。
普段気にしてませんでしたが、こういう場面で自分が出てしまうこともあります。
(リラックマのグッズは税理士受験の頃から使っているので自分にとっては縁起物です)

結局は部分的に取り繕っても、何気ないところで、ある意味自然な自分が出ているのではないかと思います。

意識せず発信を続けること自体が自分を出すことになる

自然な自分が出る、というのはブログや発信でも同じことが言えるかと思います。
月1回や不定期で発信するのであれば、そこまで自分が出ないかもしれません。

しかし、ブログを続けると、意識しなくても自然と自分は出てしまうものです。

ブログの文章だけでも、言い回しやたとえ話、漢字と仮名のバランス、句読点や改行などで自然とその人の特性が出てきます。

今はワードプレスというソフトでホームページやブログを作っている人が多数です。
同じソフトを使って同じ内容のことを書いたとしても、ブログの素材やレイアウト、フォントなど製作者の好みや考え方があって、自然に製作者の特徴が出てきています。

そのため、無理に自分を出そう・違いを言語化しなきゃと思わなくても、発信を続けることで自然と自分が少しずつ出てくるものであり、意識せず発信を続けること自体が自分や他との違いを出すことになっているかなと思います。

おわりに

今回、自分を出すことについて思ったことを書きました。
「自分を出す」「差別化」を意識しすぎると、反対にそれに縛られて動けなくなるため、何でもいいから発信で出し続けることで、その中から自然と自分らしさが出てくるのではないかと思いました。

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