1年ほど前から、図書館に行くことが多くなりました。
今回は、わたしが図書館に行くようになったきっかけと理由について書いています。
行くようになったきっかけ
図書館に行くことが多くなった最大の原因は、自分の状況に危機感をおぼえたからです。
自分の専門性を活かせない・専門性が身につかない・思考や状況改善や創意工夫が許されないという、単純作業ばかりの職場環境でした。
そのうえ、通勤経路に寄り道できるところもなく自宅と職場を往復するだけの生活でした。
その生活に必死になって耐えていたのですが、ある日突然、耐えられなくなりました。
そのため、人生を賭けて税理士になったのに、税理士とは程遠い生活をしていて、生きる意味を見失いかけていました。
税理士受験生時代は、税理士になるために予備校に行って勉強するという大きな目標があったり、通勤経路にある書店に寄ったりしていました。
また、大学生時代は、大学の図書館に毎日のように通っていました。
そのころと比較すると、今は、知識や情報のインプットをしていない、インプットをしてもアウトプットを許されない環境に危機感を覚えました。
さらに、アウトプットを許されないからインプットをする意欲がなくなる…という悪循環になっていました。
そこで、昔のように、インプットを増やすため、図書館に行く機会を増やすことにしました。
本で心を回復させる
上記でインプット、と書きましたが、読んでいる本はビジネス色のない本のほうが多いです。
心がへこんでいるときに職場を思い出す本を読むと余計に気分が悪くなるため、あえて無関係の本を選んでいます。
文化・芸術・エッセイ・子供向け・中高生向けの本など、その時の気分で読みたい本を読んでいます。
試験や仕事とは違って、アウトプットを目的として読まず、記憶に残らなかったとしてもページをめくった瞬間が楽しいと思えればそれでいいかなという感じの読み方です。
たとえば、食べ物の話だと、レシピ本以外にも、駅そばに特化した本、和菓子の由来の本、果物の切り方の本、レトロ自販機の本など、初めて知ることが多く図鑑のように見て楽しめるものもあります。
それらを見ることで、温かい飲み物を飲んだ時のような、ほっとした気持ちをインプットすることができます。
あえて仕事に直結しないところの本を読むことで、自分の心に栄養を与えて回復させる感じがします。
また、古い本であっても、新しい気づきを与えてくれることがあります。
ドストエフスキーの『死の家の記録』(1860年代に発表されたロシアの小説)を読みました。
序盤に単純作業による苦痛の描写、終盤に本を読むことで人間性を回復させる描写があります。
この描写を読んで、単純作業で苦しんでいる自分、本を読んで心を回復させようとしている自分の状況と重なる部分があり、いろいろ考えさせられました。
人の心という根幹は、時代を超えて共通する部分があるのだなと改めて思いました。
図書館は場所が静かで落ち着く
上記の内容だと、書店であっても同じ効果はあるかなと思います。
タイトルに書店ではなく図書館にした理由を補足します。
書店も様々な本があり、最近では座って試し読みするための椅子や購入前の本を持ち込めるカフェが併設されているなど、じっくり読むことができます。
立ち読みしても怒られないですが、書店は本を売るためのお店であり、BGMが流れている、お客さんが普通にしゃべっていてもいい、ということから、いろいろな本をじっくり読むのは図書館のほうが向いているかなと思います。
立地や形態にもよりますが、図書館は館内も周辺も落ち着いていることが多いです。
落ち着いた環境にいること自体が、心も落ち着ける効果があるのかなと思います。
利用は無料、座って読める場所も自習室もあり、最近はPC持ち込み可で調べものをしながらPCでまとめることができる図書館もあります。
蔵書は書店に比べると最新のものは少ない(雑誌や新聞は最新刊あります)けれど、売れ筋や流行りを気にせず色々な本を読めるというのはメリットだと思います。
書店と図書館はどちらがいいというわけではなく、最新のものを探したり気分を上げたいときは書店、心がへこんでいるときは静かで落ち着いた図書館、と使い分ける感じでしょうか。
おわりに
ここまでわたしが図書館に行くようになったきっかけと理由について書きました。
大げさかもしれませんが、静かな環境で色々な本に触れることは、心の回復になっています。