教えることの大切さ

雑感・雑記

人に物事を習得してほしいときに、何も説明せず最初から物事に取り組ませようとする人がいます。

物事をある程度知っていたり経験がある人に対しては、何も説明せずに丸投げすることは、一概に悪いとはいえません。

しかし、何もわからない人に対して何も説明せずに丸投げをする人がいます。

今回、物事を教えずに丸投げすることの問題点と教えることの大切さについて書いています。

教えない、丸投げは本当に組織とその人のためになるか

物事を何も説明せずに丸投げする人は、「最初から教えていては考えることが身につかない。やり方は先輩から見て盗むもの」と言います。

しかし、それは本当に組織とその人のためになっているでしょうか。

実際には、丸投げされた方としては、何をしていいかわからないからとりあえず作業します。
わからないことをきいても「とりあえずやって」と言って教えてもらえません。

そして、作業した後で、先輩からいろいろとダメ出しをされます。

わたしが過去に勤務した職場の先輩や上司の大半がこのタイプでした。
職場内部の事務作業であれば、職場の内部の問題で済むのですが、接客やお客様関係の業務でも「問題を起こしながら覚えていけばいい」というスタンスの上司のもとで、文字通り問題を起こしながら接客したことがあります。

ちょっとした問題はあったものの、大きな事故がなかったのが救いでした。

これで大きな事故になった場合、丸投げされた側だけでなく、組織の責任にもなります。

また、個人がわからないまま作業するという状態が続けば、1人1人は疲弊しますし、組織として業務のノウハウが蓄積されず、発展もないでしょう。

実際に上記のところでは、丸投げをした上司を含めてほとんどの人が2年で入れ替わり、お客様から心配されたくらいでした。

特に、業務で様々なソフトやシステムを使うことが増え、変化が速い現在では、物事を進めるうえで覚えることが多いため、最早物事は教えず先輩の背中を見て盗めという考え方は通用しないでしょう。

最低限の基礎は教える必要がある

どんなことであれ、物事は最低限の基礎は教わる必要があると思います。

現在は様々なソフトがあり、それを使えないと業務を進めることすらできません。
もし、教えられないまま誤操作でデータを消去してしまったなど、取り返しがつかないことになります。

物事を習得するうえでは「守破離」が大切だとわたしは考えています。
もともとは昔の芸事での考え方だったと思います。

守=教えに忠実に従って「型」を身につける
破=「型」を身につけた後、試行錯誤して自分なりの「型」をみつける
離=「型」から離れて新しいことができる

最初は、上司や先輩からまなぶ、まねる、ということが最重要だと思います。
一度はそのままやってみる。
やってみることで、いいと思ったら、そのままつづける。
身に着けていく中で、違和感を感じたら、そこで初めてほかに何かないか?と考えられると思います。

税理士関係でいうと、税理士試験や大学院入試の対策は、予備校の授業をきちんと受けて自分の知識にします。
そして、勉強していく中で自分なりの勉強方法や考え方を身につけます。
試験のあとは、知識や勉強方法などを実務に活かしていきます。

また、教えることは、実は教える側にもメリットがあります。

教えるためには、自分が物事を知っておく必要があります。
教えづらいところは、知識や技術を調べたり確認したりと勉強することになります。
そのため、教える側も教えながら自分の腕を磨くことができます。

そして、職員が教えあうことでお互いの技術を伸ばすことで、組織にノウハウが蓄積され、発展していくことになります。

蓄積がある程度あれば、業務マニュアルなどに残すことができ、マニュアルとともに作業を丸投げするのであれば、基礎を教えることに近いのかなと思います。

おわりに

今はどの組織もIT化や業務の効率化・平準化が言われていると思います。
そのような状態では、「丸投げして覚えろ」というやり方は通用しません。
「守破離」のようにまずは「型」をきちんと教えることが大切かと思います。

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